大阪アサノコンクリート株式会社 堺工場

「生コン屋」から生コン技術産業へ!

大阪アサノコンクリート株式会社 堺工場

堺市堺区築港南町8
TEL:072-221-3013

操業1964
ミキサー 3000L × 1
車両 10t × 16台、4t × 1

 

 

高度経済成長期の大阪・関西を牽引してきた歴史を背負う

大阪アサノコンクリート株式会社 堺工場は昭和39年に設立された堺小野田レミコン株式会社が始まりです。
平成2年に堺レミコンとして事業継続し、平成30年10月、平成26年から続いた大阪アサノ泉北工場との協業を経て、大阪アサノコンクリート株式会社 堺工場として新たなスタートを切り現在に至ります。

昭和47年にJISマーク(認定番号566071)を取得、その後、平成16年に大臣単独認定(認定番号MCON-0872)を、そして平成19年には普通・舗装・軽量コンクリートに対応する新JISマーク(認定番号GB0507203)を取得し、熟練した技術と最高品質の材料を用いて、良質で均整な生コンクリートを製造販売しています。

工場が位置するのは堺泉北臨海工業地帯、昭和31年から47年にかけて堺・高石・泉大津市の沿岸部を埋立て造成した約1700万平方メートルの人工島です。
石油化学産業・鉄鋼・機械工業・物流・電気など200社を越える事業所が集積した臨海コンビナートで、堺泉北港の港湾機能も併せ持ち、阪神地域の産業を発展させ、高度経済成長期の大阪・関西を牽引してきた歴史があります。
阪神高速の出入り口も立地条件に恵まれた土地で、堺市を中心に大阪府南部一帯に生コンクリートの納入が可能です。

 

最近では、工場群から放たれる無数の光で幻想的に映し出される煙突や配管のシルエットがSF映画の近未来的な世界を演出し、夜の観光スポットとしても人気があるようです。

工業地帯という事もあり周辺に住宅が無く、騒音等に対するクレームの心配はありません。
また、早朝や夜間の出荷にも対応しやすく、阪神大震災後は、夜間に湾岸線の一車線通行止めにして橋脚の大規模な補修工事等にも対応した経験もあります。

 

 

 

高度な技術力が支える綿密な大規模構造

最近納入した大型物件は阪神高速の大和川線。
大和川線は、奈良県内からの交通が集中する西名阪沿線地域と大阪・神戸の湾岸地域へのアクセス向上と渋滞緩和、災害時の効率的な活用を目的とした高速道路で、大阪府堺市の4号湾岸線から14号松原線に直結する全長約9.7キロメートル、その殆どが地下トンネルになっています。

大和川線のトンネルは、 『シールド工法』と『開削(かいさく)工法』 という2種類の工法でつくられていますが、このうち大阪アサノコンクリートでは「開削工法」で、大和川堤防の下を通るトンネル工事に使用される生コンクリートを納入しました。

現場では、低熱セメントを使用した生コンクリートで現場打ちし、ボックスカルバートという箱型のトンネル構造物の底版及び天井と壁面を鉄筋コンクリートで覆い、トンネルが形成されます。
工事での1日の最大出荷量は1200㎥、納入量はトータルで70000㎥(7社共納)に及びます。
配合は30-1215-20L、
1台目~5台目まで連続で、その後5台おきに現場試験を実施して道路の強度と安全性を確保するために、厳しい品質管理が要求されました。

 

 

苦労した配合は平成17年の夢洲と咲洲を結ぶ「夢咲トンネル」工事で納入した高流動コンクリート
夢洲と咲洲を結ぶこのトンネルは、南港地区の開発において最重要交通ネットワーク事業として、鉄道を併設した全長約2.1キロメートルのトンネルで、海底部の806メートルの沈埋函のうち2函を大阪アサノコンクリートが担当しました。

堺市にある日立造船堺工場の造船用ドック内で1つあたりの長さが約100メートルの沈埋函が8函制作されたのですが、採用された沈埋函の構造形式は、下床版内面を除く函体の外面及び内面全てを鋼板で組み立てた鋼殻内にコンクリートを充填する、鋼とコンクリートが一体となるサンドイッチ合成構造でした。

 

1日の納入量は最大350㎥、現場では1台目~5台目まで連続でフロー試験がありました。
配合は30-65-20BB 、粉体として炭酸カルシウムを添加、さらにバイオポリマー系の増粘剤を添加して併用系高流動コンクリートとして仕上げました。

骨材、特に細骨材の粒度や表面水率の変化に十分留意した上での品質管理等、細心の注意を払いながら試験を重ね、求められた性能以上に仕上げた生コンクリートでスタッフ一丸となり納入に望みました。

また、打設時期が暑中の為、待ち時間を最小限に抑える為の綿密な配車スケジュールも組み、当日の施工がタイムテーブルによって管理されました。
この高流動コンクリートの製造は、78月の真夏であり、生コンクリートにとっても、工場スタッフにとっても過酷な時期でした。しかし、我々が製造した併用系高流動コンクリートは、この様な過酷な状況においても本来の性能をフルに発揮し、沈埋函鋼殻内の隅々まで充填できた、十分な成果と達成感が、記憶に強く残っていますと仲野工場長。

 

 

 

意欲ある若手が継承する「大阪アサノの技術力と向上心」
大阪アサノコンクリート堺工場では、コンクリート主任技士3名、コンクリート技士が4名在籍しています。
太平洋セメントの主催する講習会や通信教育を利用して、資格取得を推進しています。また、工場で扱った珍しい配合や施工については、その経験や実績を発表し、業界全体の技術力の発展に寄与しています。

若手社員は、34歳の田中さんと28歳の住吉さんにお話を伺いました。
田中さんは以前、基礎工事に従事していた事もあったそうですが、親戚の紹介でこの業界と縁が繋がりました。
現在は試験室に常駐し、コンクリート主任技士を目指しながら仕事に励んでいます。
仕事をする上では「生コンの状態第一」をモットーにされています。先輩から教えてもらった事の中でこの言葉が心に一番刺さっているとの事、インタビュー中も口を開けば「試験が・・・」「試験の・・・」と「試験」の事で頭がいっぱいの様子でした(笑)

住吉さんは、現場での試験や品質管理を行っています。
試験会社で働いていたところをスカウトされたのがきっかけです。大阪アサノコンクリートに出会ったことが人生の転機になったといいます。「30歳までにプラントで働きたい」という希望があったそうで、順調にキャリアプランを実現されています。
勉強熱心で、今年の1月からの勤務ですが全生連の技術大会や、大阪広域主催のビジネスマナー講習会にも積極的に参加され、コンクリート主任技士にも挑戦する予定です。
家に帰宅すると子どもたちが全員でお出迎えしてくれ、そんな家族の存在が日々の活力になっているそうです。
「試験の鬼」の田中さんも然り、最近生まれた我が子の話になると一気に顔がほころびます。

仕事に真面目な2人も、仕事が終わった後や休日は、大切な家族との時間を大切にされ、「仕事にも家庭にも全力」な人柄がうかがえました。

 

今回取材した大阪アサノコンクリート堺工場は、立地良し・技術良し・人材良しの「三方良し」のプラントでした。
2025年の万博開催に向けて、これから益々周辺のインフラ整備や街の再開発が活発になっていくと予想されます。
大阪アサノコンクリート堺工場には、長年培ってきた確かな技術力を存分に発揮し、社会に貢献して頂きたいと感じました。

取材が終わって帰り際、第1回目の絵画コンクール受賞作品のステッカーを貼ったミキサー車を発見しました!(エンジンは掛かっておらず、ドラムも回っていなかったので絵が反対を向いてますが・・・)
今年で13回目を迎える絵画コンクール、毎年受賞作品をミキサー車に貼って街中を走っているのですが、その記念すべき初代を見つけて感慨深い思いになりました!

© The ready- mixed concrete cooperative of Greater Osaka.
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